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水産商品を取り巻く事業環境が
大きな転換期に差し掛かっている昨今、
ニシン・数の子を中心に水産物の輸入、
製造加工業を営んできた当社は、
今日まで伝統の食文化を重んじながらも、
常に市場の変化に対応する新たな挑戦を
忘れずに歩んで参りました。

当社には大切にしている
4つの企業姿勢があります。
「歴史や技術を識(し)ること」
「次世代に技術を継ぐこと」
「新事業・新技術を自ら興すこと」
「水産と農業、町と町を繋ぐこと」です。

当社はこの4つの企業姿勢の下、
伝統産業であるニシンの加工事業を超えて、
工場のある北海道岩内町の活性化に寄与し、
従業員はじめ地域の方々に
生産地が本来有する豊かさを
実感していただく事業を行っています。

識

歴史や技術を”識る”

明治から昭和初期にかけて鰊場(にしんば)として栄えた岩内。ニシンから作られた肥料(しめ粕)は北前船で本州に運ばれ、全国の綿花、京都の宇治茶や和歌山の蜜柑栽培など多くの作物の栽培に利用されました。ニシンには海の恵みを畑に、北海道の恵みを本州にもたらす日本独自のエコシステムを担った歴史があります。当社はその歴史にならい、ニシンでつくった有機肥料による米、野菜、果樹の栽培を行い、本州のこども食堂に送るニシンによる新たなエコシステムの構築に取り組んでいます。

昭和初期の岩内での「しめ粕」作り 写真提供/岩内町郷土館

子ども食堂

繋

次世代に技術を”継ぐ”

当社社長の祖父、津村武兵は戦前フィリピンへ麻栽培の出稼ぎで資金をため、戦中南米アルゼンチンへ渡りました。当時、日本人の多くが豊かな南米に夢をもって渡った事実は、技能習得を目指して来日する今日の技能実習生と重なるものがあります。当社は技能実習生が日本で学んだ技能を帰国後も活用できるようベトナムでの数の子加工を本格化し、次世代の数の子技術者の育成に取り組んでおります。

井出社長の祖父母がアルゼンチンに渡った当時の写真

ベトナムの工場

興

新技術を自ら”興す”

当社の本社がある東京・大田区には一芸に秀でた特徴のある町工場が多くあります。伝統食材である数の子には緻密に組み立てられた伝統的な製法があり、それは合理化が難しいと感じています。しかし多様化する流通に合わせたパッケージや製造機械は、新素材やAIの活用で、大きな変革が可能です。なかでもスキンパックは酸素を極限まで遮断する高バリア性により食品劣化の原因となる酸化を防止します。そのほか、当社は全国の特徴ある機械メーカーと食品ロス削減、作業の安全性向上・負荷の削減、リサイクルにむけた新しい機械の開発、導入を進めています。

大田区の工場で開発されたスキンパックの機械

スキンパックの商品

繋

水産と農業、町と町を”繋ぐ”

本社を東京におき、北海道に工場を有する企業として感じることがあります。それは都市部の豊かな生活は生産を担う地方が支えているということ、そして、地方の衰退は、ひいては都市の衰退につながるということです。一方、地方が直面する状況は、自治体単体では解決できないことが多々あります。漁港を持つ岩内の隣には、豊かな畑を持つ共和町、フルーツづくりが盛んな仁木町があります。当社ニシン肥料は、水産と農業を結び付け、非常に豊かな商品ラインアップをもつ「地域」を形成しました。

岩内港で水揚げされた魚

共和町の田んぼ