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【二代目日記】『鰊(にしん)場育ち』

2012.06.09 Saturday
これは、成毛真氏が評した本です。著者の葛間寛氏は、北海道泊(原発があるところです)の網元の家に生まれ、大正6年生まれですから現在93歳。父親の突然の死により幼くして家督を継ぐこととなり、鰊漁最盛期の様子をつづった本です。

鰊御殿、とよく言われますが、先日岩内町郷土資料館で調べたところ、泊や当社の工場がある岩内町など後志地区一帯に鰊が来たのは昭和一桁年まで。それ以降は、魚影がぴたりとやみ、スケソウなどほかの魚を中心とした漁に転じていきました。それにしても、当時の網元の採算は、人件費と仕掛け、機材などへの毎年の投資が今日の評価で1億5,000万円ほど。一方、3億円程度の収入を上げ、1億5,000万円を儲けにする、という非常に粗っぽい事業だったとのこと。しかし、鰊が来なければ投資がすべてパーになりますから、衰退、没落も早かったようです。昭和初年、岩内は道内5番目の人口を誇る町で、日本で最初に水力発電が導入されるなど、時代の先端を進んだ町でしたが、鰊があってのことでした。

ところで皆さんは、「群来」という言葉をご存じでしょうか。ワープロの入力変換ではでてくる言葉ですが、北海道以外の方にはなじみのない言葉だと思います。群来は「くき」とよみ、一般には鰊が放卵をしに浜におしよせること(「群れが来る」)と理解されています。しかし著者は、群来とは本来、鰊が押し寄せ、放卵し、オスが放精するところまでを含んだ意味を持つのだ、と言っています。ちょっとした違いとお感じになるかもしれませんが、浜一帯が白子で真っ白に染まる様は、ほかの言葉では表現できないものです。生物的な意味ではなく、鰊漁の投資が無駄に終わらずに済んだ安堵、儲けへの期待、そこに暮らす人々の高ぶる気持ち、こういうものを含んで鰊に対して「くきる」という固有の動詞ができたのだといいます。

当社の工場付近の港の対岸には泊原発が見えます。今や浜に鰊が来ることはありませんが、郷土館で見た写真を思いやりながら初夏のひと時を過ごしました。

2012:06:09

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